医師・汐見文隆氏略歴 

     
  1924年 京都市生まれ。
  1947年 京都帝国大学医学部卒業。
  1959年 和歌山赤十字病院 第一内科部長
  1965年~ 和歌山市内で汐見内科を開業。
  和歌山県保険医協会理事(公害担当)、全国保険医団体連合会の公害環境対策部員を務めた。
  1972年~ 「和歌山から公害をなくす市民のつどい」*の代表世話人となり、市民による公害問題の学習の場としての「公害教室」を2002年まで31年間(166回)開催。
  1974年、メリヤス工場近隣住民から健康被害の相談を受け、その原因の調査にあたって、東大工学部名誉教授西脇仁一氏の協力があり、この健康被害が低周波音により引き起こされてていることが明らかになった。これを端緒とし、医師の立場から、低周波音公害の調査を始め、その後、西名阪道路訴訟など、各地の被害に関わることになった。
  1995年 低周波音被害の調査や被害者の救済活動で第4回田尻賞を受賞。
  2016年3月20日 逝去(享年92歳) 
  2016年11月3日 「汐見文隆さんを偲ぶ会」***
     

 

*低周波音被害について

 

 低周波音被害とは、人の耳には識別しにくい低周波の空気振動が、不眠、頭痛・吐気など、さまざまな不定愁訴と呼ばれる症状を引きおこす健康被害のことです。新幹線や高速道路の橋梁、コンプレッサ―、モーター類の業務用機器等が発生源となります。2000年代は新たに風力発電や家庭用省エネ給湯器(エコキュート、エネファーム等)等が加わり、低周波音被害という言葉がようやく一般市民に浸透し始めてきました。

 

低周波音の健康被害には個人差があり、なかなか他人には理解されにくいものです。また、その症状が不眠や頭痛など、不定愁訴であることから、医療機関では更年期障害や自律神経失調症と診断されることが多く、行政もこの問題には「民民不介入」で、被害者は相談にも応じてもらえず、孤立無援の状態となります。一旦被害に遭えばその解決は困難となり、自宅を捨てざるを得ない被害者も多数います。

 

汐見文隆氏は 医師として初めて低周波音被害の実態の解明と被害者救済に取り組み、各地で講演活動を行い、数多くの著作を通して、世にこの問題を広く訴えてきました。

 

**「和歌山から公害をなくす市民のつどい」について

 1960年代に高度経済成長期が始まって各地で悲惨な公害事件が明らかになってきて、全国的に公害反対運動が広まっていった1972年、汐見文隆氏は「和歌山から公害をなくす市民のつどい」世話人代表として「公害教室」を開き、様々な分野の問題を学ぶ機会を提供してきました。森永ヒ素ミルク中毒や日高原発建設問題、PCB汚染、住友金属埋め立て問題など、多岐にわたる問題を取り上げ、和歌山における公害反対運動の拠点となっていました。この「公害教室」は発足して31年間、2002年の第166回まで続きました。

 

      写真は2000年の第164回公害教室風景 講師は汐見文隆氏   

 

***「汐見文隆さんを偲ぶ会」について

167回公害教室最終章として2016113日に行われ、県内外から107人が参加されました。汐見氏最後の授業として、当会(風力発電の被害を考える会 わかやま)が制作したDVD「低周波音公害と現代医療」を参加者で視聴した後、第2部として、公害教室の講師を務めていただいた大学の先生や研究者、市民運動に関わった方々がそれぞれ汐見氏との出会いや思い出をお話されました。